月にウサギはいなかった【生き方は星空が教えてくれる】

おはようございます!

 

<今朝のフォーラムソラ語録>

月にウサギはいなかった

生き方は星空が教えてくれる(木内鶴彦著)より

 

●その日、家へ帰っても興奮さめやらぬ私は、母親にその日見た星のことを早口でまくし立てました。そして「月を見たんだげど、ウサギがいなかったんだよ」と解決しなかった疑念も口にしたのです。

 

●ここで「月にウサギはいないのよ」といわれればまだよかったのですが、私の母親はニッコリ笑って、「そう、今日はウサギがたまたま月の裏側に行っていたのね」と答えたから大変です。

 

●じゃあ、明日は表に出てくるかもしれない、そう思った私は矢も盾もたまらず、それから連日、友達を集めて月のウサギを発見すべく観測を続けたのです。ところが、いつまで観測してもウサギは一向に現れてくれません。三日月だった月がだんだんと太っていって、満月になってもウサギは現れてくれません。

 

●おかしいなと思った私は、学校の図書室で星の本の月に関する部分を読み直してみました。

 

●その本には、たしかにウサギの絵姿が描かれた月のイラストがあったと記憶していたからです。
しかし、よくよく読んでみると、月の表面の海と呼ばれている黒っぱい部分がウサギの顔の形に見
えることから、月にはウサギがすんでいるという伝説ができたと説明文に書かれていたのです。

 

●月にウサギはいないんだということを、私はそこで初めて知ったのです。
月にウサギはいない——–それはたしかにがっかりすることではありましたが、そのことで望遠鏡で星を見る楽しさ自体が色あせるということはありませんでした。

 

●最初に手作りした望遠鏡の倍率は、たしか十倍程度だったと思います。それでも土星のリング
や月のクレーターなど、肉眼では見ることができない星の世界を楽しむことはできたのですが、
観測を続けるうちにもっと倍率を高くしたい、もっと大きく星を見たいと思うようになっていきました。

 

 

<わたしの読書メモ>
 
木内さんのフォーラムを聴いていると、子供のころの不思議、それをどう捉え追及し、何を発見したか?また、どう感動したのか?
そんなことをリアルに語ってくれます。

 

自分に置き換えて考えてみると、はっきり言って全く記憶に残っていない、子供のころの冒険心。
さほど問題意識がなかったのだ・・・・ということに残念ながら気付かされてしまいます。

 

つまり、木内さんは、とても感受性が強く、素直、そして探究心旺盛、そして行動的、どれをとっても魅力的な少年だったのではないでしょうか?

 

そして、「環境が人を育てる」とは良く言ったものです。
今回のエピソードでは、お母さんの対応が素晴らしいと感じました。

 

「月にはウサギがいなかった」と告げた木内さんに、「そう、今日はウサギがたまたま月の裏側に行っていたのね」と答えています。
この優しさ、子供の夢に傷を与えない、この感覚がいまの社会や家庭には少々希薄なような気がします。

 

木内少年は、この言葉によって、さらに探究心を芽生えさせ、ウサギの有無について「裏取り」をしたわけですが、それが今度は、科学に触れるきっかけになっています。

 

私も反応力と想像力にもっとっと磨きをかけて、常にピュアに、そして感性豊かに物事に対処して行きたいとこのエピソードから学びました。

 

今日も感性豊かに一日を楽しみましょう。
Let’s ENJOY!

手作り望遠鏡をのぞいて知った別世界【生き方は星空が教えてくれる】

おはようございます!

 
<今朝のフォーラムソラ語録>

手作り望遠鏡をのぞいて知った別世界

生き方は星空が教えてくれる(木内鶴彦著)より

●望遠鏡で星を見るようになったのは、小学校三年の夏のことでした。
 
●当時読んでいた学研の「こどもの科学」という雑誌に、「虫眼鏡で作る望遠鏡」という記事があったのです。
(中略)
 
●先生と一緒に学校の友達に声をかけ、観測会が実現することになりました。授業が終わったあと、いったん家へ帰り、暗くなったころに
あらためて校庭に集まって、みんなで星を見ることにしました。
 
●最初に望遠鏡で見た星は、月でした。初めて望遠鏡で見た月には、クレーターがはっきりと見えました。
 
●「すごい、すごい」「わあ大きい」「これが月?」などといいながら、みんなで月を見ているとき、一人の友達がポツンといいました。
 
●「あれ?ウサギはどこにいるのかな、うさぎがいないよ」
 
●そのころはみんな純情ですから、月にウサギがいると本気で信じていたのです。正直に告白すれば、星の本を読んでいた私でさえ月にはウサギがいると信じていました。
 
●先生はというと、私たちの反応を見ながら、ニヤニヤと笑っているだけで何もいいません。
(P55-57)
 
<わたしの読書メモ>
「こどもの科学」の付録でついてきた「虫眼鏡で作る望遠鏡」を授業中にせっせと作っていた木内さんを見つけしかった先生。
 
最終的には一番の応援団になって木内家に無かった虫眼鏡を用意してくれたり、観測会を哲だっけくれるようになりました。
 
わたしは、木内少年の星に対する思いや熱意もさることながら、子供の夢をキチンと捉え、希望に結びつけてあげた先生の対応に心をうたれました。
 
小学校三年生の子供たちが夜の校庭に集まり、「月」という、慣れ親しんではいるけど遠い存在でもある「星」の主体を、先生は目の当たりにさせてくれました。
 
子供たちが月を望遠鏡でみることで、視野やものの考え方、発想が一気に広がったのは容易に想像できます。
そして、「ウサギがいない?」ことの事実を体験からしる。これが既成概念をぶち壊す行為として、非常に重要だったと思います。
 
ニヤニヤと笑っているだけで何もいわない先生は、この結末を多分想像していたのでしょう。
子供に感動と探究心を与えるという、とても大事な役目、つまり感動体験プロデューサーとしての仕事を先生は立派になされたと思います。
 
いまの教育現場では、先生と子供、先生と保護者の問題がぎくしゃくしていて、なかなか生身の関係が作りにくい状況ですが、このような先生と生徒との関係がもっと全国で広がっていってほしいと思います。
 
そうすれば、愛情にあふれ、人を思いやり、夢を抱いた子供たちがふえてゆき、牽いては豊かな日本を形成する。そんな原動力へと繋がっていくのではないでしょうか?
 

天の川の奏でるメロディは「チェンバロ協奏曲第三番」【生き方は星空が教えてくれる】

おはようございます!

 
<今朝のフォーラムソラ語録>

天の川の奏でるメロディは「チェンバロ協奏曲第三番

生き方は星空が教えてくれる(木内鶴彦著)より
 
●ひとりになると山は静けさに満たされます。星と私だけの世界。そんな静けさの中で星のきらめきを見つめていると、小さな星のかすかな瞬きが音になって響いてくるのを感じることがあります。特に細かい星がたくさん集まっている天の川は、実際に繊細なメロディを聞かせてくれます。
 
●実際に耳に音が聞こえるわけではありませんが、星の奏でる音が一つのメロディになって脳裏に響くのです。よく、一つの曲が耳について、何度も何度も頭の中に響くことがありますが、ちょうどあのような感じです。
 
●その美しいメロディをなんとかして他の人にも伝えたいと思っていたのですが、音楽的なセンスに乏しい私には、残念ながらその旋律を他の人に聴かせることができませんでした。たしかにすっと聞こえているのに、鼻歌にすることすらできなかったのです。
 
●ところが、たまたまCDショップの前を通りかかったときのことです。いつも私の脳裏に響いていたあの星のメロディが素晴らしい楽曲となって耳に響いたのです。ビックリした私は、すぐに店内に飛び込んで、店員さんに曲名を尋ねました。
 
●それはバッハの「チェンバロ協奏曲第三番」という、チェンバロ(ハープシーコード)を用いた楽曲でしたが、本当に驚くほど天の川が奏でるメロディとそっくりなのです。
 
●機会があれば、一度目を閉じてこの曲を聞いてみてください。きっと瞼の裏に満天の星を湛えた天の川を見ることができるでしょう。ですから私は、あの曲はバッハが星空を眺めながらそのインスピレーションを譜面にした旋律なのだと密かに信じているのです。(P53-54)
 
 
  <わたしの読書メモ>
 
初めてこの本を手にして、「星を眺めているとメロディが響きわたってくる。それも単調な音ではなく協奏曲なのだ。」と知ったとき、私は本当に驚きました。
 
はじめは、そんなバカなことはないだろう!?と思ったのですが、よくよく考えてみれば、物質には波動というものも存在します。光子や電子によってもさまざまな周波数を持ち波を発生させているわけですから、星々、星雲、銀河系といった光や物質の大集合体に耳を傾けてみれば、音を発していないわけがない。そんなふうに感じるようになりました。
 
しかし、その奏を実際に耳にしたり、脳裏に焼きつけることのできる人はめったに居ないのではないでしょうか。
 
その点で木内さんは、非常に稀有な能力の持ち主だともいえます。しかし、バッハもその奏を捉えていたことを考えると、むしろ私たち人間にはそのような能力が基本ソフトとして備わっているのだとも考えられます(譜面に落とせるかどうかはさておいて)。
 
人類が文明や科学技術を手にし、便利に暮らせば暮らすほど、本来持っていた能力をどんどん退化させてきたのではないでしょうか?
そしていつしか、そんな能力を持っていたことすら分からなくなっている・・・。
 
木内さんのように、自然に身を投じ宇宙に目を向ける。そんな大きな視点で感性を磨くことで、私たちもきっと「第六感」的な繊細な能力を甦らせることができるのだと、私は強く信じています。
 
フォーラムソラで展開する「宇宙(ソラ)の旅」もまた、このような能力を呼び起こすためのリーディングトリップなわけなのです。
 

星の下で始まった顔の見えない交流会【生き方は星空が教えてくれる

おはようございます!

 
<今朝のフォーラムソラ語録>

星の下で始まった顔の見えない交流会

生き方は星空が教えてくれる(木内鶴彦著)より

 

●夜の山に来る人などほとんどいないだろうと思われるかもしれませんが、実際にはさまざまな人がやってきます。
星に興味を持っている人もいれば、そうでない人もいますが、話しかけてくる人の第一声はたいてい決まっています。
「わぁー、星がきれいだね」というのです。
 
●なかには、私が望遠鏡を空へ向けていることはわかるので、「望遠鏡で見たらよく見えるんでしょうね」と、いう人もいます。
素直に「見せて」といってくれればよいのですが、なかなかそうはいいません。近くにきているのだけれど、ちょっと遠巻きにするような感じでためらいがちにたむろしているのです。
 
●私はそういう人たちのために、いつもちょっと多めにコーヒーを持っていっていました。
カップにコーヒーを入れ、声を掛けてくれた人のところへ持っていくのです。
不思議なもので、「コーヒーでも飲みませんか」と声をかけるだけでは、たいていの人は遠慮して断ってしまいます。
でも、コーヒーの入ったカップを持っていくと、受け取って飲んでくれるのです。
カップを受け取った人は、自然と望遠鏡のそばに集まっていきます。
そしてコーヒーを飲みながら、いろいろな話をはじめるのです。
 
●深夜の山ですから、辺りは真っ暗でお互いの顔もはっきりとは見えません。
それでも話をしていくうちに、声の調子で相手が心を開いてくれたのがわかります。
(中略)
 
●ときには「あっちの空は明るいでしょ、あれは東京の街の灯りでね」などと、星の話から地球環境の話にまで発展させます。
楽しいひと時を過ごした人は、しばらくすると今度は友達や家族を連れてまたやってきます。
そうしていつの間にか私の観測ポイントは、夜の観測会のようになっていったのです。
(P44-48)
 
 
<わたしの読書メモ>
星の観測をしているときは、「一日の平均睡眠時間は四時間ほど、慢性的な肉体疲労と睡眠不足、特に冬は寒さが半端でなくて、体はもう大変!」
でも、「彗星探索にはそうした苦労を差し引いてもあまりある喜びや楽しさがあるのだ」と木内さんフォーラムソラの講演会の中でおっしゃってました。
 
その「あまりある喜びや楽しさ」の中に、このような心温まる、本当の意味での交流があるのだと思います。真っ暗闇ですから、目で見る情報ではなく、耳や、感覚、感性など、動物的な感受性を使って相手と価値共有していく。
 
その過程がいつもにはない、深い関係性を醸し出してくれるのではないでしょうか?
星の話から宇宙の話し、それがついには身近な環境問題へと展開していくとき、「地球と共に生きる」という共通のテーマと深い愛情が醸成され、場を満たしてくれるのではないでしょうか。
 
言葉では表すことのできない、素晴らしい気付きや価値を共有できる場。そんな場が、あまりある喜びや楽しさの一つでもあるのではないでしょうか。
 

イワナよろしく、後はじっと待ち伏せするだけ【生き方は星空が教えてくれる】

フォーラムソラのオブザーバー:木内鶴彦氏の著書【生き方は星空が教えてくれる】から、いま私達が感じ捉えたい感性について、学びを深めています。

<今日のフォーラムソラ語録>

イワナよろしく、後はじっと待ち伏せするだけ
【生き方は星空が教えてくれる(木内鶴彦著)より】

 

●それから私は、過去に太陽系に接近した彗星すべてのデータを調べ、その動きを数値化してみまたのです。そうして自分で計算式を作ってみると、彗星の軌道には8つのパターンがあることがわかりました。こうして彗星を観測するポイントを絞り込むことができるようになったのです。

●8パターン全部の軌道をチェックするとしても、広い天空の中のわずか8か所を観測すれはよいのですから、ランダムに観測するよりもはるかに効率的です。そしてさらに、多くの彗星探索家が、自分で割り出した軌道上を追いかけるようなかたちで観測していくのに対し、私はイワナよろしく彗星がやってくるのをじっと待ち伏せすることにしたのです。

●軌道計算が間違っていなければ、そこで待っていれば遅かれ、必ず彗星を観測することができるはずだからです。

●私が最初に発見したのは、この計算式を確立してからわずか一年目のことでした。そして、それ以降、1990年7月16日の「土屋・木内彗星」、1991年1月7日の「メトカーフ・ブルーイントン彗星」、1992年9月27日の「スウィフト・タットル彗星」と、わずか3年の間にたてつづけに4つもの彗星を発見することができたのです。

●これらのうち、メトカーフ・ブルーイントン彗星とスウィフト・タットル彗星は、過去に発見されていたものですが、その後軌道を見失い行方不明になっていた彗星です。ですから、正しくは再発見ということになります。
(P36-37)

 

<わたしの読書メモ>

木内さんはイワナ釣りをしながら、

渓流の流れの中でイワナが餌に食らいつく、

独特なパターンがあることを発見しました。

 

そして、そのパターン現象は宇宙の星星の流れにも

共通性があるのでは?と仮説化し、

過去の彗星の軌道データを全て数値化してみました。

すると、8つのパターンが見えてきたのでした。

 

わたしはここに、

私たちがより魅力的な人生を手にするための、

学ぶべきアドバイスがあると思うのです。

日々の生活の中で、常に感性のアンテナをはり、

既成概念の枠にとらわれない、

モノの見方を習慣化してみる。

すると、思わぬひらめきや、自分の本当にやりたいこと、

さらには、その人の使命ともいえる、

個々に与えられた特別な役割が

見えてくるのだと思うのです。

 

木内さんのような、

専門的な知識と計算の落とし込みまでは難しにしても、

発想の機転や感性の磨きに関しては、

私たちも十分取り入れることができると思います。

 

じっくりと仮説を立てたら往左往をせず、

後はイワナ釣りのごとくじっくり待つ。

 

とかく私たちは不安や心配に支配されると、

動いてしまいがちです。

しかし、信念をもって行動しているのであれが、

むしろ動じず待つ。

大きな成果を得たいならば、

これも大事な判断の一つなのです。

 

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彗星発見のヒントになったのは魚釣り【生き方は星空が教えてくれる】

フォーラムソラのオブザーバー:木内鶴彦氏の著書【生き方は星空が教えてくれる】から、いま私達が感じ捉えたい感性について、学びを深めています。

<今日のフォーラムソラ語録>

 彗星発見のヒントになったのは魚釣り
【生き方は星空が教えてくれる(木内鶴彦著)より】

 

●私はフライフィッシングという毛鉤を使った川釣りをするのですが、その日はたまたま上流の方に人がいて、後から来た私は下のほうで暇つぶしに糸を垂れていました。

● 私が糸を垂れたのは、ちょうど川がダムのようにせき止められて渦を巻く流れができている場所でした。そういう場所には、楕円を描くような一つの流れができます。

フライフィッシングの場合、毛鉤がその流れに沿って自然に流れたときに魚が釣れます。でも、人間が少しでも糸を引いたりすると、うごきが不自然になるのでしょう、絶対に魚はかかりません。

●暇つぶしのつもりで気軽にやっているとき、イワナが一匹釣れました。それ自体はどうということではないのですが、次に同じ場所に同じように毛鉤を落とすと、またイワナが釣れたのです。

同じところで同じ魚が釣れる。そこでちょっと場所をずらして毛鉤を落としてみたのですが、もうイワナは食いついてくれません。何度試しても同じ結果でした。

●なぜ同じ場所でないとイワナは餌に食いつかないのか。考えた末、虫の死骸とかイワナの餌になるようなものは、必ずこの流れに乗って同じ位置に来るということをイワナは知っているのではないかと思い至ったのです。

そのことを知っているから、イワナは餌の来る道筋で待ちかまえているのではないか、ということです。

●この川の流れの中では、同じ重さの餌は同じ場所を流れる。それならば太陽系にやってくる彗星も、流れに乗って同じような場所に来るのではないか---。

そう考えたことが、私なりの軌道計算法を見つけるきっかけとなりました。
(P31-33)

<わたしの読書メモ>
暇つぶしに糸を垂れたイワナ釣り。

イワナの餌への食いつき方から、

大宇宙の現象面をイメージしてしまう、

そんな洞察力の高さが光っています。

私たちは、

義務教育の中で良くも悪くも常識を教えられます。

これは社会を生きて行く為に必須だとされているからです。

しかし、

与えられてばかりいると、

自分から考え出したり、イメージしてみたりする。

といった本来最もクリエーティブとされる

想像力を働かせることが無くなってしまうのではと思います。

私たちは日頃、

何の気なしにコンピューターや情報網に頼っていますが、

一度自分の中で想像力を働かせながら、

一つの仮説を立ててみる。

そんな習慣を身に付けることで、

私たちにも思いもよらぬ発見や結果が得られるのではないでしょうか?

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