夢というにはリアル過ぎる第二次臨死体験【生き方は星空が教えてくれる】

おはようございます!

 

<今朝のフォーラムソラ語録>

『夢というにはリアル過ぎる第二次臨死体験』

生き方は星空が教えてくれる(木内鶴彦著)より

 

<立ち読みコーナー>
●私は心臓停止以前の体験を第一次臨死体験、心臓停止後の体験を第二次臨死体験と区別していますが、これは両者が「臨死体験」という一つの言葉でくくることができないほど性格を異にしているからです。
●第一次臨死体験で見た大河や故人との出会いというのは、三途の川のたとえがあるように古くからいわれていることでしたから、自分としてもある程度受け入れることができました。しかし第二次臨死体験は、夢というにはあまりにもリアル過ぎ、かといつて真実だと思うにはあまりにも常軌を逸していました。そのため、なかなか人に話す決心がつかなかったのです。
●私の臨死体験は、興味をもった先生方に話をしているうちに、さまざまな人の知るところとなりました。ホリスティック医学やターミナル・ケアの関係者などからも、話を聞かせてほしいと依頼を受けることが多くなっていったのです。
●そのころから、心臓が止まったあとに体験したことについても、自分である程度信じられるようになったものから、少しずつふれるようになっていったのです。
●しかしそれによって私の人生が大きく変化していくことになるとは、そのときはまだ夢にも考えていませんでした。(P-106-107)

<わたしの読書メモ>
 木内さんの「臨死体験」は、いわゆる一般的な「仮死状態」のものではなかったのでした。どうやら、「第一次臨死体験」とは人間の脳内プログラムの範疇のようです。
 そして、時空を飛び越え過去や未来を見てきたことは、心臓がすっかり停止した後のこととして「第二次臨死体験」と木内さんは定義しています。
 「第二次臨死体験」を体験する人は、けして木内さんだけでは無いのですが、肉体に戻れた人が今まで医学的見地から確認できていないのです。
 おそらく多くの場合は、すでに肉体が損傷していたり、「個」の意識が薄れてしまい、肉体に戻る意欲が無くなったいるのだと思われます。
 そんな「夢というにはあまりにもリアル過ぎ」、かといって「真実だと思うにはあまりにも常軌を逸している」第二次臨死体験。そこからの学びや仮説、検証が、その後の木内さんの人生を大きく変えることになったのは、当然と言えば当然ではないでしょうか。
 フォーラムソラでは、より良い未来の姿に進むべく、木内さんとさまざまな事象を検証し学びを深めています。その中でわかったことの一つに、答えの多くは過去に経験しているということです。それは伝承という形で今に受けつがれ、まるで未来に向けて警鐘を鳴らしているかのようなのです。