こうして生命の循環が始まった【生き方は星空が教えてくれる】

おはようございます!

 

<今朝のフォーラムソラ語録>

『こうして生命の循環が始まった』

生き方は星空が教えてくれる(木内鶴彦著)より

 

<立ち読みコーナー>
●その原初の海で最初の生命が生まれました。
●それは藻のような植物性プランクトンでした。植物性プランクトンが光合成によって酸素を生み出し、酸素が充分に増えたところで動物性の微生物が誕生しました。
●海の中で腐った植物を動物性の微生物が分解し、新たな栄養分を生み出し、それをもとに別の植物群が生長していきます。こうして生命の循環が始まりました。
●植物は海岸から少しずつ陸上に進出し、大気や土壌を生命体が生活するのに適した状態に変化させていきます。
●地球が誕生してから地表の大部分が植物によって覆われるまでに要した時間は、八億年ほどでした。(P122)
<わたしの読書メモ>
フォーラムソラでは「宇宙(ソラ)の旅」を国内と海外で毎年展開しています。その中でも沖縄の久高島ハワイ島の旅では、特に原初の生態系に注目しながら、石灰岩や溶岩で構成される海辺を検証しています。
 すると、まったく生き物を寄せつけそうにない、ごつごつした岩肌や溶岩に埋め尽くされた海辺でも、わずかな水たまりや
浅瀬には「藻」のような緑が生息しています。
 それをだんだんとたどっていくと、今度は岩肌の隙間から生える草のような小さな植物が現れます。そして徐々に植物は岩の奥深くまで根を張るしっかりした木へと変わっていくのです。
 この様に、過酷な条件でも植物が中心となって、徐々に生命体が生活できる環境に変えていく様子を現在でも見ることができるのです。
 そして、植物のあるところに必ず動物がいます。とかく動物のために植物が存在しているように思われますが、地球の環境維持と生命の循環という視点から考えると、地球の生命体の代表選手は植物であり、動物は新たな栄養分を生み出すための補完生物であることが見えてきます。
 「植物よりも動物が、その動物の中でも人間が一番偉い!」などと考えがちですが、私たち人間は地球の生態系の中では新参者です。
 私たち新参者の使命とは、この奇跡の惑星「地球」に誕生した「生命」、つまり先輩たちの命の循環を絶やさず守ることなのだ!と自然環境を検証する度に気づかされるのです。

地球は水にちょうどよかった惑星【生き方は星空が教えてくれる】

おはようございます!

 

<今朝のフォーラムソラ語録>

『地球は水にちょうどよかった惑星』

生き方は星空が教えてくれる(木内鶴彦著)より

 

<立ち読みコーナー>
●原初の惑星に水はありませんでした。
●宇宙空間で水分は軽石のようなものにしみ込み、凍結していたのです。それがカイパ一べルトと呼ばれる彗星の巣となりました。
●氷の塊は大きくなると、太陽の引力に引き寄せられ、彗星となり太陽系の惑星に降り注ぎました。細かな水の塊が惑星に降り注ぎ海をつくり出します。
●しかし、惑星と太陽の距離が近すぎれば、地表が熱すぎて水は揮発してしまいますし、逆に遠すぎると凍りついてしまいます。水が液体の状態を保っていられるのにちょうどよい距離に位置していたのが地球だったというわけです。(P121)
<わたしの読書メモ>
 木内さんは宇宙の始まりまでも意識の世界で体験してきました。なので、太陽系の創造についてはより具体的なイメージを持っています。
 私たちがたとえ天文学に詳しかったとしても、太陽系の創造期を解りやすく説明しろといわれて、期待通りに説明することなかなか出来るものではありません。
 しかし、木内さんの場合は違います。さすがに見てきた(体験した)だけあって、とてもわかりやすく誰にでも理解できる言葉で説明してくれます。
 太陽系にはいくつもの惑星がありますが、太陽との位置がそれらの惑星の環境を決定づけるものになっていると木内さんはひも解きます。
 つまり、宇宙空間に豊富にある水ですが、それを受け取った時に、きちんと「液体」として維持できる惑星だけが生命を育むチャンスを得られたというのです。
 その点において、地球は偶然にもその条件を満たした惑星だったのです。地球に生命が誕生し、やがては循環を遂げる惑星に育ったことは、「全てに偶然は存在しない、全ては必然である」という観点からすると、本当に何者かの意思が介在したと考えてしまうのも不思議ではありません。
 ですから、私たちはこの奇跡の地球の存在意義を今一度見つめ直し、考え直さなくてはならないのだと私は思うのです。
 そうすれば、私たち人間の役割が「地球環境の維持継続」であることが解ってくるはずです。「地球と共に生きる」という価値共有がなされた時、争いや経済至上主義から解放され、本来の人間としての生きる喜びをあられるのではないでしょうか。
【筆:小林 健】

困難を乗り越えること、それこそが人生の喜びだった【生き方は星空が教えてくれる】

おはようございます!

 

<今朝のフォーラムソラ語録>

『困難を乗り越えること、それこそが人生の喜びだった』

生き方は星空が教えてくれる(木内鶴彦著)より

 

<立ち読みコーナー>
●死後の世界はとても退屈な世界です。すべてが自分であり、何の疑問もない世界です。それはつらくも苦しくもない世界ですが、ときめきも喜びもない世界ともいえます。
●この世にはさまざまな制限があります。でもだからこそ自分の能力を目いっぱい使って生き延びていくことが、とてつもなく素晴らしいことなのだと気がついたのです。
●みなさんも自分の人生を振り返ってみてください。あなたにとっていちばん素晴らしい思い出となっているのは、どんなときでしたか?
●それは、困難に負けず自分が一生懸命努力していたときではないでしょうか?
●そのときは苦しくて苦しくて、何で自分はこんなに大変な思いをしなければならないのだろうと、天を呪いたくなるような気持ちになったとしても、その困難を乗り越えて後から振り返ったときに感じるのは、かけがえのない充実感なのではないでしょうか。
●生きる喜びとは、そういうものだと私は思っています。(P118-119)
<わたしの読書メモ>
 木内さんがいつも繰り返し言うこと、それは「意識の世界にはすべてがある。しかし退屈である。」ということです。
 人は過去も未来も、まして今日の自分のことさえ解らずじまいです。そんな中で精一杯生きています。
 時にはすべてを投げ出してしまいたい。そんな衝動に駆られることもありますが、投げ出したところでその先には退屈な意識の世界があるだけなのです。
 もしも、この世界の辛さや苦しさから逃れたとしても、そこに待っているものは肉体のない意識だけの退屈な世界。例えその世界がすべての事象を理解できる世界だとしても、ただじっと「有る」だけの肉体のない世界なのです。
 それよりも、この肉体を預かり人生という体験を繰り返すこと。つまり「生きること」そのものに価値があるのではないでしょうか。
 その中でも、辛いこと苦しいことから自分の持てる能力を目いっぱい使って必死で乗り越える経験。それこそが「生きる喜び」なのだと、木内さんの体験は物語っています。
 もしも、少し未来の地点から現在の自分を見つめる習慣を身につけられたなら、私たちは今の困難をもっと精一杯、もっと自分の能力を引き出し、乗り越えていけるのではないでしょうか。
 なぜなら、その経験こそがかけがえのない「人生の喜び」であることを知っていれば、今よりも高い結果を引き出すことが出来るからなのです。
【筆:小林 健】

古代文明の都市は地下に造られていた【生き方は星空が教えてくれる】

おはようございます!

 

<今朝のフォーラムソラ語録>

『古代文明の都市は地下に造られていた』

生き方は星空が教えてくれる(木内鶴彦著)より

 

<立ち読みコーナー>
●私が臨死体験で見てきた地球の歴史は、常識では考えられないものでした。
月が誕生する前、地上では高度な文明社会が築かれていました。
●その社会は、今の歴史学での常識からすれば、信じられないような光景だと思います。この古代文明の都市は、当初地下に造られました。人間が自分たちの生活空間を地下に求めた理由は、実にシンプルなものでした。地上に町を造ると自然を破壊しなければならないからです。
●当時の文明は、地球の生態系の主役は植物だという認識に立脚していたのです。都市と同じ理由から道路や線路も造られませんでした。道を造らなくてもいいように、彼らは空中を移動する乗り物を開発しました。
●それは今でいえば、飛行機というよりUFOに近いものでした。
<わたしの読書メモ>
 木内さんの見てきた過去、その光景は今の歴史学からは想像もできないものだったといいます。
 「すでに高度文明をもっていた人類の生活の舞台は地下である。」と聞かされた時、私も本当に耳を疑いました。「絶対にそんなことは無い!」と、自分の既成概念の中での裏付けの無い確証を持っていたのです。
 しかし、その後の木内さんの話や、オーパーツに代表される「あってはならない物証」を知ってくると、だんだんと木内さんの話には整合性が取れていることに気づき始めました。
 その文明の地下都市は、今よりも海抜2000メートルも低い地球での話です。その辺を探しても入口は見つかりませんが、ペルーには海底2000メートルに階段の遺跡が見つかっているのです。
 また、地球の主役を植物と捉えていることも、注目すべき点だと思います。現代人は地球の主役は人間と考え、地球の破壊行為を続けていますが、当時の人類は地球あっての生命体、生態系が存在することを心の基本にしていたようです。
 フォーラムソラで検証の旅を行っているのも、この先史文明が残してくれた大いなる学びや本来の人間の姿がどうあるべきか?といった教えを再発見するためのものなのです。

月の誕生は一万五千年前だった【生き方は星空が教えてくれる】

おはようございます!

 

<今朝のフォーラムソラ語録>

『月の誕生は一万五千年前だった』

生き方は星空が教えてくれる(木内鶴彦著)より

 

<立ち読みコーナー>
●そうして私が導き出した月誕生の年代は、一万五千年前というものでした。
●巨大彗星が地球に接近し地球の環境を大きく変化させたのは、意外にもそれほど古い時代のことではありませんでした。すでに人類は誕生し、文化的な生活を営んでいたのです。
●月がもともと巨大彗星ならば、月のクレーターは、水分が気化し地球に吸い取られたあとにできたと考えることができます。クレーターというのは、損石が地表にぶつかったときの衝撃でできる窪みのようなものだからです。(中略)
●そこで一定期間この海の部分にできる新しいクレーターの数を観察し、平均的な数字を出します。そして現在あるクレーターの総数をその平均値で割れば、月が誕生したおおよその年代を特定することができます。
●こうしたクレーターの観察結果をもとに月の年代を測定したところ、やはりここでも約一万五千年前という、臨死体験から導き出した答えと一致する数字が出たのです。
<わたしの読書メモ>
 木内さんは、意識の世界で体験している事象の年代を、天空の星々の位置を記憶することで割り出しました。
 とくに地球に大カタストロフィー(天変地異)を与えることになった月の到来については、注意深くその年代を記憶してきたのでした。ノアの方舟にも登場する七日七夜の大洪水が月の到来の話とするならば、すでに人類がある程度の文明をもっていた時代となるからです。
 星々の位置から割り出した月の到来時期はなんと、約一万五千年前という、比較的最近の時代が割り出されました。しかし、私たちの歴史観からすると、あまりにも最近であることから、木内さんは月のクレーターの観測という、まったく別な方法からも時代測定を試してみたわけです。すると、やはり約一万五千年前という数字が出てきました。
 聖書を始め世界中の古文書には、まことしやかな話が登場します。「人類は4度文明を作った」「人類は地下からやって来た」「人類の一部は宇宙に回避した」「人類は恐竜と共存していた」・・・どれも興味深い話ですが、信憑性に欠ける話ともいえます。
 しかし、このような木内さんの体験や、現在の地球に残された手がかりをもとに、さまざまな検証を重ねてみると、どれもこれも、まんざら嘘ではなさそうなのです。
 もしも、これらが真実であったなら・・・・。過去の先人達が得た教訓が世界中にたくさん残っているはずなのです。それらは、今を生きる私たちの生き方の参考書にきっと成りえます。
 フォーラムソラでは、過去の先人の知恵や教え、今なお伝承されつづけるストーリーを世界中に求め、検証の旅へと繰り出しています。
 そのストーリーの真意をひも解くことによって「壮大なる温故知新」、つまり過去からの教えを未来につなげることにより、よりより地球環境を次の世代に手渡すことができるのでは!?と考えているからのです。

月の正体は巨大彗星だった【生き方は星空が教えてくれる】

おはようございます!

 

<今朝のフォーラムソラ語録>

『月の正体は巨大彗星だった』

生き方は星空が教えてくれる(木内鶴彦著)より

 

<立ち読みコーナー>
●私が「第二次臨死体験」の中で見た歴史では、誕生したばかりの地球に月はありませんでした。月は、巨大彗星だったのです。
●巨大彗星が太陽に近づいた際、太陽の熱によってガス化した水分が地球に扱い取られ、質量が少なくなった軽石のような核の部分だげが残り、地球の周りを回る衛星になったのです。
●月がもっていた氷状の水分が地球に降り注いだと考えれば、月の質量が地球より少ない理由も納得できます。巨大彗星がもっていた水が地球に降り注いだことによって、地球上の水分量は急増しました。
●「旧約聖書」のノアの方舟の物語をはじめ、世界各地には大洪水の伝承が広く残っています。七日七晩降りつづけた大雨によって高い山までが水の下に沈んだという伝承のすべてが想像の産物だとは、私には思えません。これらの伝承は月が誕生したときに地球に起きた大異変を伝えるものなのかもしれません。
●そこで私は考えました。もし地球で増えた水分がもともと月がもっていたものなら、それをそっくり月にもっていけば、きれいにフィットするはずだ、という仮説を立てたのです。
●私は、臨死体験での自分の記憶を頼りに、地球上の陸地と海の割合の変化から、増えたと考えられる水分量を計算し、それを現在の月と合わせてみたのです。すると、それは見事にバランスがとれたのです。
<わたしの読書メモ>
 木内さんにお会いし、初めてこの「月」のエピソードを聞いた時には、「本当かな?そんなわけないだろ~?」と私も耳を疑い、マコトシヤカな話をあざ笑うかのようでした。
 しかし、詳細を何度も聞いているうちに、自分の既成概念の中でしか事柄を判断できていない自分自身をしりました。
 いつも第二次臨死体験をしたのが木内鶴彦さんでよかったと思っています。なぜかといえば、木内さんには見てきた事象を検証するだけの知識やアイディアが備わっているからです。
 今回の月の検証も、地球の水分を月に戻してみたり、月のクレーター年代測定などで、ほぼ確証が得られるまで精度を高めています。私たちの体内時計も25時間だということは、よく知られていますが、これも地球から月を取り除いたときの自転と一致するのです。
 どうやら、ノアの方舟に代表される伝承の物語の数々は、ノンフィクションだった様なのです。フォーラムソラでは「宇宙の旅」を世界中に展開しています。
それは事実と思える伝承を木内さんと共に検証し、私たちの社会作りへのヒントを導きだそうとしているのです。

夢というにはリアル過ぎる第二次臨死体験【生き方は星空が教えてくれる】

おはようございます!

 

<今朝のフォーラムソラ語録>

『夢というにはリアル過ぎる第二次臨死体験』

生き方は星空が教えてくれる(木内鶴彦著)より

 

<立ち読みコーナー>
●私は心臓停止以前の体験を第一次臨死体験、心臓停止後の体験を第二次臨死体験と区別していますが、これは両者が「臨死体験」という一つの言葉でくくることができないほど性格を異にしているからです。
●第一次臨死体験で見た大河や故人との出会いというのは、三途の川のたとえがあるように古くからいわれていることでしたから、自分としてもある程度受け入れることができました。しかし第二次臨死体験は、夢というにはあまりにもリアル過ぎ、かといつて真実だと思うにはあまりにも常軌を逸していました。そのため、なかなか人に話す決心がつかなかったのです。
●私の臨死体験は、興味をもった先生方に話をしているうちに、さまざまな人の知るところとなりました。ホリスティック医学やターミナル・ケアの関係者などからも、話を聞かせてほしいと依頼を受けることが多くなっていったのです。
●そのころから、心臓が止まったあとに体験したことについても、自分である程度信じられるようになったものから、少しずつふれるようになっていったのです。
●しかしそれによって私の人生が大きく変化していくことになるとは、そのときはまだ夢にも考えていませんでした。(P-106-107)

<わたしの読書メモ>
 木内さんの「臨死体験」は、いわゆる一般的な「仮死状態」のものではなかったのでした。どうやら、「第一次臨死体験」とは人間の脳内プログラムの範疇のようです。
 そして、時空を飛び越え過去や未来を見てきたことは、心臓がすっかり停止した後のこととして「第二次臨死体験」と木内さんは定義しています。
 「第二次臨死体験」を体験する人は、けして木内さんだけでは無いのですが、肉体に戻れた人が今まで医学的見地から確認できていないのです。
 おそらく多くの場合は、すでに肉体が損傷していたり、「個」の意識が薄れてしまい、肉体に戻る意欲が無くなったいるのだと思われます。
 そんな「夢というにはあまりにもリアル過ぎ」、かといって「真実だと思うにはあまりにも常軌を逸している」第二次臨死体験。そこからの学びや仮説、検証が、その後の木内さんの人生を大きく変えることになったのは、当然と言えば当然ではないでしょうか。
 フォーラムソラでは、より良い未来の姿に進むべく、木内さんとさまざまな事象を検証し学びを深めています。その中でわかったことの一つに、答えの多くは過去に経験しているということです。それは伝承という形で今に受けつがれ、まるで未来に向けて警鐘を鳴らしているかのようなのです。

この星の環境バランスを整えていく以外に道はない【生き方は星空が教えてくれる】

おはようございます!


<今朝のフォーラムソラ語録>

『この星の環境バランスを整えていく以外に道はない』

生き方は星空が教えてくれる(木内鶴彦著)より

 


<立ち読みコーナー>
●自分たちが泣いたり笑ったりしながら生きているこの世界が、膨大な意識が暇つぶしのためにつくり出した世界にすぎないということは、空しいことのように思われるかもしれません。
●しかし、私がこのことを知ったときに感じたのは、生きることの素晴らしさと大きな喜びでした。
●このゲームにおいて、地球という惑星に誕生した生命の役割は、この星の奇跡のような環境バランスをいかに長く保ち、エネルギーを維持し生きつづけることができるかということです。
●この星で生まれた生命体は、この星の環境バランスを整えていく以外に生命を維持する道はありません。そして、どこよりも長く生きつづけたものがこのゲームの勝者となるのです。
●このゲームに参加している生命体は、私たちだけではありません。宇宙空間全体に、膨大な意識とアクセスしている生命体が、無数に散らばっているのです。私たちが宇宙人や異星人などと呼ぶ未確認の知的生命体も、この宇宙には存在しています。
●しかし、彼らも私たちも、すべては膨大な意識から発したものなのです。(P99)

<わたしの読書メモ>
 木内さんは個をなんとか持続させながらも、宇宙の始まりを目の当たりにしてきました。その時に知ったのは、私たちは膨大な意識の「暇つぶし」から成り立っているというショッキングな事実でした。
 これを、マリオ的にゲームでたとえれば、どれだけ場の環境を維持し、ゲームを継続できるかに掛かっている。つまりは、「この星の奇跡のような環境バランスをいかに長く保ち、エネルギーを維持し生きつづけることができるか」という宇宙規模のゲームが展開されていることを悟ったのでした。
 2012年現在、木内さんは一心不乱で地球環境のバランスの維持、よりよい環境の改善について取り組んでいます。答えを知った者として、その影響力の大小に関わらず、その取り組みを行う事が「地球という惑星に誕生した生命の役割」であることを学び得たからなのです。
 フォーラムソラには、私を含め木内さんと同様の体験をした人は残念ながら存在しません。しかし、多くの方が木内さんの体験談からインスピレーションを受け、この星の環境バランスと生態系維持に本気で取り組んでみようとしています。
 私たち万物全ては膨大な意識にアクセスしています。「このひとり一人の意識改革が結果的に膨大な意識を刺激し、末は個々の意識に変更を与える」という、大きなパラダイムシフトの可能性を強く信じ、私も活動に参画しているのです。

個はバーチャルなキャラクターだった【生き方は星空が教えてくれる】

おはようございます!

 

<今朝のフォーラムソラ語録>

『個はバーチャルなキャラクターだった』

生き方は星空が教えてくれる(木内鶴彦著)より

 

<立ち読みコーナー>
●私が想像していた「死」、つまり無の世界は、膨大な意識の世界でした。ここに取り込まれると、自分は宇宙そのものの一部になってしまい、個の意識を維持することが難しくなってしまうのです。
●蘇生してから、私はこのときの感覚をどう説明したら、人にわかってもらえるだろうかといろいろ考えてきました。そしていちばん近いと思われるものが、スーパーコンピュータのシステムでした。
●スーパーコンピュータという一つの膨大な意識があるとします。そのスーパーコンピュータは、自らの中に三次元という一つの世界を生み出します。その世界の中には、銀河があり、太陽系があり、太陽という恒星や地球という惑星があり、その地球の中でさまざまな生命活動が行われていきます。どんな小さなものもすべてはスーパーコンピュータの意識の一部です。したがって、その一部は全体にアクセスすることもできるのです。
●つまり、私たちはスーパーコンピュータが生み出したバーチャルなキャラクターを、個だと認識しているということになるのです。
●膨大な意識と一体になってわかったこと。それは、膨大な意識のままではとても退屈なことだということでした。すべてが記憶としてわかり、すべてが自分自身だということは、とてつもなく暇で、退屈で、それなのにこれといってやることもないのです。(P97-98)

<わたしの読書メモ>
 木内さんは「膨大な意識と個」をたとえて、「ファミコンゲームのマリオブラザース」の話しをよくします。
 マリオは二次元のTV画面のキャラクターです。それを操っているのは三次元にいる私たちなのでが、ゲームに没頭すると我を忘れてしまい、ついついマリオになりきってしまうことがあります。
 あの感覚が「膨大な意識(上位次元)」と「個(三次元)」なのだそうです。もしも生まれてこの方、TV画面のマリオしか見ていなかったらどうでしょうか?
 きっと、マリオを操っている自分自身(三次元)を想像することは危ういのではないでしょうか?
三次元の意識や叡智を持っているのに、二次元の、もしくは自分が操っているマリオとしての能力しか備わっていないものと考えてしまいます。
 私たちが、もしも上位次元(膨大な意識)をイメージとして捉え、その存在を意識して思考をはりめぐらせれば、きっともっともっと自分の才能を開花できるのだ、と私は木内さんの「マリオ」の話しを聞くたびに感じます。
 フォーラムソラでは「宇宙(ソラ)の旅」と題し、世界各国に繰り出しています。この旅では、既成概念を取り外しシックスセンス(第六感)を開くことを一つの目的にしています。
 木内さんと旅を共にし、またシックスセンスがすでに開かれているマスター達と交流することで、徐々に徐々に「マリオ」から抜け出し、本来の自分自身「上位次元の意識」を取り戻して行きます。
 そうすると、知らず知らず、自分自身の使命や人類としての役割、地球の生態系と環境のバランス・・・・、といった上位概念を捉えることが出来てきます。
 私は、これらのメッセージを受け止め、共に上位概念で物事を捉え、考え、行動できる仲間やコミュニティが今後は重要性を増すのだと考えています。

 

宇宙は「ひずみ」から始まっていた【生き方は星空が教えてくれる】

おはようございます!

 

<今朝のフォーラムソラ語録>

『宇宙は「ひずみ」から始まっていた』

生き方は星空が教えてくれる(木内鶴彦著)より

 

<立ち読みコーナー>
●空間を自由自在に動き回れることがわかると、私の好奇心はさらに大きく膨らんでいきました。宇宙の始まりを確かめたいという衝動に駆られたのです。
●天文を学んだものなら、誰しもが一度は考えること。それは、宇宙の始まりは本当にビッグバンなのかということです。
●私が見た宇宙の始まり、それはとても神秘的な情景でした。宇宙の始まりはビッグバンではなく、宇宙は一つの「ひずみ」から始まっていたのです。
●そもそもの初めにあったのは「膨大な意識」でした。膨大な意識そのものを形成しているものが何なのか、空間なのか物質なのかということは私にはわかりませんでした。ただそこが膨大な意識の中だということだげがわかるのです。
●膨大な意識の中に一つの「ひずみ」が生まれました。生まれたひずみは、その瞬間から解消に向かい動きはじめます。その動きこそが宇宙に満ちているエネルギーの流れにほかならないのです。
(中略)
●私たちの生きる三次元世界はこうしてたった一つのひずみから生まれました。正しくはひずみが解消に向かう過程が、三次元という空間と時間に支配されている世界だったのです。(P92-95)

<わたしの読書メモ>
 いよいよ、木内さんは宇宙の始まりのシーンを体験することになりました。なぜ「宇宙の始まりか?」といえば、天文を学んだ者の性とも言うべきでしょう。
 この壮大な宇宙が何なのか?始まりは何なのか?素人でもワクワクするテーマですが、専門家ならばなおさら興味を抱くテーマです。
 一般的にはホーキンス博士に代表される「ビックバン説」が主流をしめている宇宙創造論ですが、木内さんの体験によると、それは「ひずみ」だったのです。
 「ひずみ?」 わたしも初めてこの話を聞いた時には、なんともキツネにつままれたような、期待はずれのような気持ちになったことを覚えています。
 宇宙創造といえば、大スペクタクルのような、やはり壮大なシーンを勝手に思い浮かべてしまうからです。そして、この「ひずみ」の解消こそが私たちの三次元という世界だと木内さんは言います。
 先日、フォーラムソラでは木内鶴彦さんと共に、ハワイ島に地球創造の姿を検証に行きました。地球のマグマの活動も、太陽の核融合も、すべて「ひずみ」の解消という現象の一部ということになります。
 宇宙の大きさが果たしていか程なのか?それは私には全く見当がつきません。しかしその一方で「日々のちっぽけな事で、枠に囚われ悩んでいることがとても小さい意識に収まってしまっているんだな。」と今回は強く感じさせられました。
 常に対極的に物事を受け止め、せめて思考だけでも宇宙サイズで広げていきたいと思います。