おはようございます!
< 今朝のフォーラムソラ語録>
「膨大な意識」は全ての意識と繋がっている
生き方は星空が教えてくれる(木内鶴彦著)より
<立ち読みコーナー>
●足元には、膝丈ぐらいのチューリップによく似た花が咲ぎ乱れています。花の色は赤、黄、白、紫などさまざまで、まるでぺルシャ絨毯を敷き詰めたような美しさでした。
(中略)
●私は空を見上げたり、花園に仰向げに寝転がって深呼扱をしたりしながら坂道を下りていきました。ところが、しばらく下りていったとき、ふと見ると私の前を歩いていたはずの女性の姿が見えなくなっていたのです。
●「あれ、どうしたんだろう」
そう思ってキョロキョロと辺りを見回していたとき、私の意識は唐突に、病院のべッドの上に戻されたのです。
●現実に戻ってみると、先ほどまで丘の上を気持ちよく歩いていた私の体はピクリとも動かなくなっていました。足元の簡易べッドでは父親が仮眠をとり、母親は私のべッドの脇で点滴の落ちる様子をじっと見守っていました。
●再び私の脳裏には「死」という言葉が浮かびました。(P81-82)
<わたしの読書メモ>
これは、木内さんが生死をさまよっていた時の体験を伝えています。
どうやら、三途の川の付近は人間の脳プログラムに組み込まれていて、誰でも似たような体験をするようです。
(疑似的に仮死状態を作り出す実験でも、やはり同じような体験をすることが分かっています。)
「ペルシャ絨毯を敷き詰めたような美しさ」とは、陽を浴びた彩り豊かな花々が敷き詰められているのでしょう。暖かなぬくもりや光に包まれる、おそらく一般的に想像される天国的な世界。
きっと、死が怖いものではないのだ・・・・と安心感を与える為に意識が作りだした世界なのだと思います。おそらく、人間だけではなく、生きとして生きる全てのものが、同じような感覚に包まれながらその最後を遂げるように、プログラムされているのではないでしょうか?
本来なら、「ここにず~っといた」という衝動(安堵感)にかられ、死を受けいれるのでしょう。しかし、木内さんの場合は、どんな意識がそうさせるのか分かりませんが、又も肉体が魂を呼び戻しました。
現実に引き戻されると、そこには不自由な肉体と、両親の姿がありました。「死」について、さらには「今を生きる」ということについて、木内さんに何者かが問いかけているかのようです。
いったい何者なのか?時に人は「サムシンググレート」、「膨大な意識」、「宇宙意識」などとも呼びます。私は、きっと万物を創造した根源的な意識、私たち全ての意識とも繋がっている「宇宙の膨大な意識」が作用しているのではないかと考えています。
この後の木内鶴彦さんの壮大な宇宙への冒険が楽しみです。
乞うご期待!