おはようございます!
< 今朝のフォーラムソラ語録>
それは後悔以外の何ものでもありませんでした。
生き方は星空が教えてくれる(木内鶴彦著)より
●あと一週間の命。
そう宣告されて初めて、「死」というものが現実の重みをもって私の心に追ってきました。
●そのときに最初に考えたのは、荼毘に付される、つまりこの体が焼かれてしまうのかというこ
とでした。死んでしまえば意識はなくなるとわかっているのですが、それでも焼かれるというの
は熱くないのかなとか、灰になるんだな、というようなことがとても気になるのです。
●意識はあるのにべッドの上で身動きすらできず、ただ死の訪れを待っているだけの自分。よく、死の間際に走馬灯のように自分の一生を再体験するといいますが、私の場合は逆で、現在から少しずつ過去に向かって記憶が甦っていきました。
●自分の過去を振り返ると、忘れていた気持ちを当時のままに思い出していきます。自分はこういうことをやりたかったんだ、ああいうところにも行きたかった———-そういう思いが、それこそ津波のように心に押し寄せてくるのです。それは後悔以外の何ものでもありませんでした。
●あれもしたかった、これもしたかった、いくら後悔しても、私に残された時間はあと一週間なのです。しかも、まともに動くことはおろか、話すことすらできない。それは肉体の痛み以上につらい、精神の激痛でした。
●死が迫ってきたときのもう一つの苦しみは、死に対する恐怖でした。自分が死ぬということのいたたまれなさ、すべてが消えてなくなるということに対する恐怖。後悔と恐怖が、メビウスの輪のように表裏一体となって、途切れることなく繰り返し頭の中を回りました。(P71-72)
<わたしの読書メモ>
「もしも、あなたの命が一週間しかなかったら、あなたは何をしたいですか?」
「選んだこと、それがあなたの本心です」
自己啓発や成功哲学では、よくこんな質問が出されます。
この場合、元気な一週間を前提に話が進みますが、木内さんの場合はちょっと違ってました。
「体が動かず、精神もずたずた、だけど聴覚と思考だけは冴えている。」
そんな状態でした。
若干21歳の青年にとって、それはあまりにも酷な状況、神様のいたずらだったのではないでしょうか?まだまだ、満足に生きていない。楽しい人生はこれからだ。そもそも死ぬなんて考えたこともない。
そんな心境で死の宣告を受けた一週間は、想像を絶する葛藤があったことはいうまでも無いでしょう。言葉にすることのできない恐怖、苦痛と後悔にさいなまれたはずです。
常々、木内さんと接し話をしていると、あることに気付きます。
それは、いまを全力投球で生き抜いているということです。
死の狭間で体得した「命の尊さ」、「今を生きる」、「やったね”と最後に言える生き方」
この事を伝える時、木内さんに妥協はありません。
たとえ、一人に対しても、百人に対しても、同じエネルギーでメッセージを訴えます。
たとえ、一回目でも、百回目でも、同じ口調で気付きを伝えます。
常に全力投球で人々に訴えている姿に、木内さんがそのとき置かれた状況や、そこでの学びの深さを感じとることができるのです。
私も十数年に渡り、木内さんと付き合って来ましたが、その変わらぬ姿勢には敬服するばかりです。
「心に刻んだことを貫く!」
つまり
「継続することの重要性」
このことを木内さんの姿から日々学ぶことができるのです。