おはようございます!
<今朝のフォーラムソラ語録>
あと一週間の命。
生き方は星空が教えてくれる(木内鶴彦著)より
●夜が明けたとき、七二キロあった私の体重は、信じがたいことに四二キロにまで激減していました。極度の脱水状態で生きているのが不思議なほどでした。臓器の機能が低下し、たった一夜でとてもではありませんが手術に耐えることなどできない体になり果てていたのです。
●昨日の激痛とは違う倦怠感をともなう痛みが全身を包み込んでいました。ただべッドの上に寝ているだけなのに、痛みに耐えられず、意識もとぎれとぎれにしかありません。手術どころか動かすのも危ない状態になってしまったため、医師も点滴をする以外に手の施しようがありません。私はただ苦しみにさいなまれながらそれからの数日間を過ごしました。こんな状態になっても、まだ私が息絶えないのが、医師たちにとっては不思議だったそうです。
●一夜にして四二キロまで減った体重は、その後も減りつづけ、数日後に両親が面会に来てくれたときには、私だということがわからないほどに痩せこけてしまっていました。
●最初の一週間、私は際限なく繰り返される痛みの波に、地獄の責め苦のような苦しみを味わいつづげました。しかし、それが過ぎると、痛みを感じる感覚までもが麻痺しはじめ、朦朧とした時間を過ごすことが多くなっていきました。そうなると意識が戻っていても、視力はほとんどなく、しゃべる力もありません。ただ、耳だけが異様に研ぎ澄まされていたのです。
●そんな私の耳に、廊下で両親に病状を説明している医師の声が、まるで耳元で話しているかのようにはっきりと聞こえていました。
●「残念ですが、おたくの息子さんはもってあと一週間でしょう。腸閉塞を起こしていることは確かですが、このようなケースはこれまでに症例もなく、検査も充分にできない状態なので、病名は分かりません。いえるのは、今の状態で検査をすれば、確実に死ぬということだけです」
●-----あと一週間の命。
(P70-71)
<わたしの読書メモ>
木内さんにそれがやってきたのは1976年3月のことでした。
当時の木内さんは宇宙飛行士になりたい夢を抱き、航空自衛隊に入隊していました。
木内さん22歳。
ディスパッチャー(飛行管理)という仕事についていた時、ミグ25という当時のソビエトの最新鋭ジェット戦闘機の亡命事件があったため、その対応策に追われて、丸二昼夜睡眠をとっていなかったそうです。
その非常に重い、神経をすり減らす業務のすえ、木内さんの腹部に激痛が襲い、そのまま東京医科大病院に搬送されてしまいました。
一日で体重が72キロから42キロに変化したといわれても、極端すぎてなかなか想像できませんが、それほどの脱水症状を伴うトラブルとは、とにかく言葉で表現などできないものだったはずです。
木内さんは講演の時もよく言われますが、意識が朦朧とする中でも、耳だけは異常に研ぎ澄まされているのだそうです。
ですから、病で身を伏せている方の近くで話す時は、最善の注意を払う必要があります。
この時、木内さんは両親と医師の会話を聞いてしまいました。
「あと一週間の命。」
死に向けてのカウントダウンが始まりました。
体も身動きが取れず、意志も朦朧とした中で、ただただ時が過ぎていきます。
おそらくこの時、人生について、命について、そして家族について、愛について、木内さんはさまざまなことを考えさせられたのではないでしょうか。
普段木内さんと接すると、その心の大きさや深さ、ゆとりや広さを強く感じます。
それは、全てを知りつくした、微動だにしない、大海原のようでもあり、また大宇宙のようでもある独特な心地よい雰囲気なのです。
木内さんがいつも皆さんに発する人生観。
それは「今を生きる」、最後に「やったね!」といって終えられる人生。
このメッセージの背景には、死の淵で体得した究極の学びが込められているのだと私は感じています。